Yumiの部屋  



 私の叔父はトランぺッター









私の叔父はプロのトランぺッターでした。
13歳の時から米軍キャンプでトランペットを吹
き、ジャズの全盛期には「北野タダオとアロージ
ャズオーケストラ」や「渡辺弘とスターダスター
ズ」で活躍していました。

私が子供の頃、「アベック歌合戦」というテレビ
番組があり、アロージャズオーケストラがバック
バンドとしてレギュラー出演していました。

オープニングテーマで叔父がトランペットを吹く
ところから番組が始まるので、私と従妹(叔父の
子供)、母もおじいちゃんもおばあちゃんも、テ
レビの前に齧りついて観ていたものでした。

その後、ソロで歌謡曲の伴奏をしていると聞いて
いましたが、叔父は仕事のことをあまり話さない
人だったので、実際にどういう曲を演奏している
のかはよく知りませんでした。


数年前、叔父が緩和病棟に入って看取る時に、
「必殺仕事人」のトランペットが叔父であること
を知って驚きました。

そして、叔父が亡くなったあと、美空ひばり・テ
レサテン・布施明・千昌夫・八代亜紀など、有名
な歌手のバックでトランペットやソプラノサック
スを吹いていたことを聞きました。これらの歌手
のCDには叔父のトランペットの音源が今も残っ
ています。

私が小さい頃はアイジョージさんのレコードのト
ランペット・ソロのところに叔父の名前が載って
いました。テレビにも出て演奏していたので、ト
ランペットが上手い人なんだな〜と思っていまし
た。

でも自分がカラオケで歌っていたテレサテンの
「空港」が、まさか叔父のトランペットだとは思
いもしませんでした。



京都の高級クラブ「ベラミ」の専属トランペット
奏者をしたり、渡辺プロダクションに属していた
ので、有名歌手のレコードの録音に携わった
り・・・。でも当時のレコードやCDに叔父の名
前が載ることはなく、吹いてなんぼの世界なので
す。

叔父は名前は出なかったけれど、他のプロ演奏者
からは認められていました。「名前なんか出なく
てもいい。仲間がみんなわかっているからええん
や」と言って亡くなりました。


私は介護の仕事でお金を頂いています。音楽はま
ったくの趣味で、好きな歌を唄い、楽しむことが
できたことに喜びを感じています。

今、ライブでカズーを吹いている私の姿を天国か
ら叔父が見ていたら、転げ回って笑っていること
でしょう。




 黒髪と私



私は美術学校を卒業してから、京都にある
西陣織の帯のメーカーに就職しました。

髪の長い新入社員は、「帯まつり」という
会社のイベントに出ることが決まってい
て、当時私は、髪を長く伸ばしていまし
た。


「帯まつり」は故吉川観方さんという風俗
研究家の監修を基に、大和時代〜現代まで
の日本女性の髪型に結い、着物を着付け、
行列に参加します。


その髪型を結髪する美容師の先生は、先日
「現代の名工」に選ばれ表彰されました。
現在は京都花街の舞妓さんの髪を結った
り、葵祭や時代祭・伊勢神宮祭祀(さい
し)で皇族の結髪や着付け・京都島原の太
夫の結髪などができる唯一の存在が認めら
れました。


私は、その先生に18歳の時に見初めら
れ、日本髪のモデルをしていました。

若い頃はカラスの濡れ羽色のような真っ黒
な髪と、太くて多い腰のある髪質、日本的
な顔立ち、当時は日本舞踊を勉強していた
ので、着物を着たときの所作などが気に入
られたのだと思います。


公開することなった昔の写真は「日本の女
装史」としても貴重な資料であります。



「櫛まつり」 使い古した櫛を供養する奉
納時代行列。この髪型は舞妓が芸妓になる
ときに結う髪型で先笄(さっこう)とい
う。

奉納舞踊「黒髪」を踊りました。
「黒髪」はひとり寝の女の淋しさを表現
した地唄舞で、「今宵恋に泣く」のよう
なものです。(笑)
「西陣グラフ」という西陣織の広報誌に掲
載された[日本風俗史女子編]より。

江戸時代前期の「良家子女晴装姿」。見返
り美人の絵のような衣裳です


十二単着付けショーに出演した時の控室の
写真。

髪型は江戸時代後期(公家)

葵祭…京都三大祭の中で最も格式が高く、
宮内庁の審査がある。

お顔合わせ・禊(みそぎ)式・5月15日の
行列まで心身共に清らかに過ごす。



大正時代、束髪(そくはつ)
女性にとって個性が認められた時代、竹久
夢二の絵のような髪型が流行しました。
江戸時代中期、春信風島田
1751年〜1772年に流行した髪型で鈴木春
信の浮世絵によく見られるものです。
江戸時代後期、奴島田
高島田を別名、奴(やっこ)島田と言う。
当時「櫛まつり」では結髪の実演が行われ
ました。




  昔は手編み・今は歌






私は昔、編物を趣味としていました。
20代の頃、伏見稲荷大社の近くにオリジナル・ニットのお店があり、私はそ
こに勤めていました。ラジオでFMを聴きながらお店で編物をし、お客さんを
待つという気楽な仕事です。


ある日、お客さんのひとりが、私の編物を見て、本格的に習ってみたらどう
かとその近所の編物教室を紹介してくれました。


我流で編んでいた私は熱心なお客さんの勧めで、師範の資格を取得し、おば
あちゃんになったら編物でも教えようか・・・?と編物教室に通うことにな
りました。


近所には、はしだのりひこさんが住んでおられました。その頃はもうテレビ
番組にはあまり出ておられない様子でしたが、ある日ラジオ番組に、はしだ
さんが出ておられて、知らない間に印税が通帳に入っている話をされていま
した。

「そんな生活ができたらええなぁ〜」と気楽な私は毎日編物をし、音楽を聴
いて過ごしていました。


あれから30年が経ち、押入れに眠っていた編物たちは2年前からステージ衣
装となって皆様のお目に触れる機会に恵まれました。

何故か「花嫁」を歌うことが多く、あの頃のことが思い出されます。
昨日、はしだのりひこさんが亡くなられました。
天国では坂庭省悟さんと再会し、歌っておられることでしょう。

花嫁になれなかった私。
この歌の主人公の女性も花嫁になれなかったと気づいたら親近感が湧いてく
る。

時代を超えて歌い伝えていきたいと思います。

  

羊の原毛を編み込んだ作品。

帽子・セーター・スカートは若い頃に編ん
だときには大丈夫でしたが・・・。

年寄りの肌には刺激が強すぎてチクチクし
て着れません。(笑)
かぎ針編みの帽子・ケープ・スカート

昔、モガ(モダン・ガール)と呼ばれてい
た時代のイメージで作りました。

毛糸はモヘアで軽くて温かいです。
作品名: シーラカンス(世紀末の祈り)

約3憶5千万年前に出現したシーラカンス。
幾度と繰り返されてきた地球の様々な変化
の中で、多くの生命が生まれ滅びた。

人間はいきものを守ることができるのに、
なぜ戦争を始めようとするのだろう・・?

世界が平和でありますように・・・
地球がいつまでも美しく輝いていますよう
に・・・

「地上の星」を歌いました。

京都八坂神社の鈴。
歌いながら振ると御利益がありそう。(笑)
皆さんの健康と幸せを祈っています。
これからも応援してくださいね。

素材はコットン(綿100%)
襟はかぎ針編み
本体は棒針編み
イギリスの田舎でおばあちゃんが着ていそ
うな感じでしょうか・・・?

作品名: 星月夜 

  (セーター&スカート)

写真では見えませんが胸の部分に星と月
の柄が編み込んであります。
素材はフランスのラメ糸使用。
昔、黒猫と暮らしていました。
オス猫だったので、さすらいの旅に家を出
たのです。(笑)


歌は「あんたのバラード」

この作品は昔、シルバーニットグランプリというコンテストで入賞したことがあります。
このワンピースの上に、すすきのコートとスパッツがセットになった防寒着です。
おとぎ猫が初めて「スマイルにちようライブ」に出演したときの衣装になりました。
この作品は昔、個展をしたときのDMになった鯉の図柄の半纏です。
背中には波に鯉のデザインが・・・
師範取得のための提出課題の作品
素材はシルクとラメ糸を使用しているのでス
テージには華やかですね。


残り糸を使ってベストを編みました。

縦に同じ長さののもを色違いで編み、
後で繋げるとお洒落なベストになりま
した。


お揃いのポシェットも。






オートハープで見えませんが「おとぎ
犬」の柄を編み込んだハーフコート。

作品名 「春霞御伽犬道行」

おとぎ犬とはお雛様の両脇に飾られてい
る、犬の形をした箱で、中には御守りを
入れて。枕元において寝る。徳川家では
お輿入れお道具でもある。犬は安産の御
守りとされたからだろうか?おとぎ犬は
オスとメスで一対とされた。


私達は夫婦ではないので「おとぎ猫」
(笑)

二人とも猫の方が好きなので・・・

 「おとぎ犬」の図柄はこれです。↓